女将からお客様へ

 
 

織物の歴史

絹糸はカイコガの幼虫が蛹になるときに吐き出して作る繭から原糸生成されています。
蚕(天の虫)は、江戸時代には神蚕(カミコ)と記載されている文献もあり、現在でも「おカイコさん」と親しみをもって呼ばれています。

シルクロード。その名からも窺い知れるように、絹糸、絹織物は古代から珍重されてきました。九州北部地域から出土された、紀元前弥生時代前期の絹織物が我が国最古の物とみられています。5世紀になって、製糸及び製織技術に大きな変化が訪れました。中国大陸や朝鮮半島から多くの技術者が渡来し、鉄器、製陶とともに桑作り(桑=蚕の飼料)養蚕、製糸、機織りの技術を伝えました。絹衣女(きぬぬいめ)が縫製指導を行なったのも同時代とみられています。

その後も、遣唐使の派遣、勘合貿易による高級織物技術の進歩、ヨーロッパ織物の輸入、と断続的な海外との交流の度に技術は向上していきます。一方、戦乱の世を経て変化していった国内の社会構造を背景に17世紀、江戸時代。「町人文化」が花開きます。

それまで、公家、武家、庶民と大きく異なっていた着物の形も、小袖(現代の着物の形とほぼ同様)に集約されていきました。経済的発展と強い文化的意識を発揮した町人は、独自の美意識を生み出していきました。身分階級による細かい衣服規制も町人の「意気」「粋」の思想の原動力となったことでしょう。上流階級の嗜好にあわせ、精巧な絹織物生産によって進歩してきた技術に、新たな要素が求められていきました。鎖国政策も、国産品の生産をうながし、結果、質量ともに向上していく時代となりました。

素材の違いはあっても、着る物であれば着物ではありますが、KIMONO=SILK と思われる海外の方が多くいらっしゃるのは、それだけこの時代の影響が強いからなのではないでしょうか。

近代になってからは、欧米諸国からの製糸、紡績、製織機械の導入から大きく影響を受け、その技術は織物以外の国内の機械製造にも貢献していくこととなります。

このように、国際交易期間の技術吸収の時代と、交流が中断された咀嚼と和用化の時代を繰り返しながら、製糸、製織技術を礎に我が国独自の衣装文化は発展してきました。

手織り、自動織機、どちらで製織された生地も現在着物や帯に使用されていますが、そのどちらも、織り機があり、部品があります。道具や部品を製造する全てで織物産業は支えられています。そして、そのどれもが、長い歴史の数多の技術者達の絶え間ない尽力の賜物であります。

不易流行

呉服という流通の中で、弊社は、お召しになる方に最も近い立場におります。お召しになる為の環境を整えることが役割と心得、励んで参りました。
「着物」という伝統衣装を扱っておりますが、不易(不変)なのは着物ではなく、お召しになる方がいらっしゃることだと考えております。

継承され続けての伝統。時代に合わせてこそ継承される伝統。
お召しになる方は、物作りをする人と同様に、着物文化を支えてくださっていらっしゃいます。
支えていただく人々に、支えてきた先人に、仕える思いをもって、創業者の名前から「孝」をブランド名に選びました。そのため、この度の男性着物お貸出しサービス「銀座 孝」の為にご用意させていただいた着物及び羽織には、国内で生産された絹織物を使用し、国内で縫製したものをご用意させていただいております。

いま、私たちは「着物」を手にすることができます。着物は、日本の伝統衣装であると同時に諸外国との交流により育まれた真の国際的な衣装でございます。

着物を肩にのせる時、なぜ受け継がれてきたのか想いを馳せてみてください。ここにたどり着くまでに携わった人々の誇りが、鼓動となり、お召しになっている方に合わせて脈打つことを感じられるでしょう。

男の風格にふさわしい、懐深い衣。それが日本の着物でございます。
銀座橘苑 女将 原田美代子